Webデザイナーの平尾誠です。
ぼくはフィリピンに移住してエンジニアをしていた経験があります。
実は、このブログで一番たくさん読まれているのはポートフォリオに関するページです。
みんなポートフォリオの作り方の参考を探しているんですね。
かくいう僕は、ポートフォリオを作ったことで人生が変わりました。
話は戻りまして、もともと僕はずっと海外でエンジニア・デザイナーとして働くことをずっと夢に見ていました。
結果的にその夢は叶えれました。
その夢を現実にできるようにずっと行動をしていたわけです。
でも、自分のイメージしていた働きかたとまったく違っていたので帰って来ましたけどねw
これには思うところが沢山あって、こちらの記事で紹介しています。
嫌なこともたくさんあったけど、憧れを現実に変えれたことは自分にとって大きな自信となりました。
自分の今後の人生にとって、かなり大きなインパクトを与えたと思います。
じゃあ僕がどうやって海外への憧れを現実にしたかを書きます。
この記事のポイントは
- 自分の得意分野を知る
- 日本の次に世界があるわけではない
- 目的を明確にしてブランディングした
あなたの実力はあなたが思っている以上かもしれません。
皆さんもポートフォリオを作って自分を発信していきましょう。
自分の強みを作る
僕がWebデザインをはじめたのは25歳の時でした。
独学だし、一度社会人を経験してからですので、専門学校を出てからデザインとかプログラミングしている人には全く敵いません。
そこで、僕がとった生存戦略は、デザインとコーディングを両方することでした。
作るサイトにもよりますが、小さいサイトならデザインとコーディングを一人で両方したほうが早い。
制作会社では分業になることが多いけど、一人でした方が絶対早いんですよ。
だから僕は自分でつくったデザインをプラグインを使いながら、誰よりも早く納品レベルまで持っていくことを心がけました。
そうすると自然に任される仕事も増える。
結果的に、そうして数をこなせば自然とできる作業もスキルも増えます。
そして社内では自分の意見が通るようになるんですよ。
いつしか”両方できて早い”が強みになりました。
海外に出ることを目的にポートフォリオを作った
日本で感じた分業のわずらわしさ
東京は分業が盛んです。
だから一人ずつはスペシャリストであることを求められます。
エンジニアであれば表現力の高さが一番の評価点になるわけです。
ここでは勝負出来ないなと思いました。
なぜなら僕の土俵ではないから。
デザインしかしていない人にデザインで勝てないし、エンジニアリングも同様。
性格的にコーディングだけとかするの楽しくないんです。全部したいんです。
また、一つの言語を細かく理解して探究することに喜びを感じませんでした。
むしろ僕は、自分が作ったWebサイトでどんな行動をユーザーが起こすかのほうが大切でした。
ずっとエンドユーザーに見られることを前提に作っていたんです。
僕は広範囲をカバーするゼネラリストであるにも関わらず、スペシャリストと比較して挫折感を味わっていました。
ふとそんなとき疑問に感じます。
『海外の人から見て、僕のWebサイトはイケてるのだろうか??』
そうして、海外の人に向けてポートフォリオ制作をはじめます。
日本人以外に見せるポートフォリオを制作
Webの世界はURLをたたけば地球の裏側の人でも僕のサイトを見ることができます。
これは他のモノヅクリにはないことですよね。
海外の人と一緒に働けたらたのしいだろうと思い、英語と日本語を合わせたポートフォリオサイトを制作しました。
するとたくさんの賞をとることが出来ました。
いつしかデザインアワードの審査員に
ずっと夢見ていたWebのデザインアワードのCSSDAで佳作に当たる賞をいただくことができました。
また、そのアワードの審査員まですることに。
審査員になってわかった事があります。
日本の次に世界があるわけではない。
このツイートが僕の個人的意見です。
みんな勘違いしてたなやっぱり。
日本一の次が世界一だと思ってる。
でも最初から違う山。だけど、日本一目指してる人は、世界の山を登ってる3合目の人を見て嫉妬してる感かなりある。
それぞれ違うんだけどなー。
— 平尾誠@ガチで複業するWebデザイナー (@Makopontass) 2018年9月7日
日本一と世界一は、クリエイターにとって違う道
日本一の次に世界一があるわけではない。
日本と世界ははじめから違うステージなんですよ。
もともと比べようがないんです。
だから世界をめざしていたら、勝手に自分のブランディングにもつながるって分かりました。
世界を目指している人のことを過大評価し過ぎるんです。
必ずしも世界で活躍している人がすごいとも限らない。
その人は最初から世界を目指していただけなんです。
結果的にそのことを勘違いした日本法人のLIG.incに評価されました。
僕は晴れてフィリピンで日本の現場とつなぐためのブリッジエンジニアになれたわけです。
まとめ
すごいから海外エンジニアになれたわけでは決してないんです。
単純に最初から海外エンジニアを目指していたからです。
オリンピックとちがって日本一の次に世界一があるわけでは無いんです。
二つの山は最初から違う山なんですよ。
日本で頑張る人は日本で結果を残そう!
世界を目指す人は世界を目指せばいい!
Web制作の場合は世界を目指した方が良いと個人的に思います。
理由は単純で見てくれる人が多いからです。
その方が自分のリソースにとってコスパいいやん。
自分のポートフォリオが誰にどのように見られているかを意識しましょう。
また、目的を明確にしましょう。
ほなね