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デザインを人がつくる意味
こんにちは、尾崎です。
ここ最近、「生〇〇」という言葉を見る機会が増えた気がします。
生ドーナツ、生食パン、生チョコ、生キャラメル、生大福…
「生」とついているからといって、必ずしも本当の「生」なわけではない。
でも、なんとなく惹かれるものがある。
それは、もしかしたら空気感や体験を伝える言葉として使われているからかもしれない。
この感覚はAI時代のデザインや表現にもつながる気がします。
完成度だけでは測れない価値
AIが進化すると、「人間よりうまくできること」はどんどん増えていくと思います。
実際、そうなってきてますよね。
- 文章を書く
- 画像をつくる
- レイアウトを整える
- 情報を分かりやすくまとめる
これまで人が行うと時間がかかっていた作業は、これからもっと速く、正確につくれるようになっていきます。
でも、それによってすべての価値がなくなるわけではないと思っています。
たとえば、文字情報だけならフォントのほうが読みやすい。
整っていて、誤読も少ない。
でも、手紙やメッセージカードに手書きの文字があると、そこに少し気持ちが乗っている感覚がある。
上手い下手ではなく、「この人が書いた」という事実に意味が生まれている。
人は完成度だけに惹かれているわけではなく、人が関わっていることに価値を感じているのだと思います。
熱狂もそういうところから生まれるのかもしれません。
完璧な結果よりも、人が迷って、選ぶ過程に私たちは心を動かされている気がします。
AIを使ってみて感じること
実際、アルテガでもAIを使う場面は増えています。
文章のたたき台をつくったり、情報を整理したり、アイデア出しをしたり、言葉の違和感を確認したり。
自分は特に言葉にして伝えるのが得意ではないので、かなり助かっています。
たしかに、以前より早く形にできるようになりました。
しかし一方で、そのままだと「整いすぎ」てて違和感を感じることもあります。
逆に、まだ形になっていない思いつきや、少しくだらないアイデアを投げてみると、思わぬ角度から返ってくることもある。
正解を見つける道具というより、考えを膨らませる相棒として使うほうが、自分たちには合っているのかもしれません。
だから最近は、AIに正解を出してもらうというより、考えるための壁打ちする相手として使うことが増えました。
その中から何を選び、何に違和感を持ち、どこに人の温度を残すのか。
そこを判断するのは、やっぱり人の役割だと思います。
デザインにも「生っぽさ」はある
これはデザインにも近い話だと思います。
AIを使えば、整ったレイアウトや、それらしいコピーは簡単に作れるようになる。
見やすくて、今っぽい見た目。
でも、クライアントの話を聞く中で、何気なく出てきた言葉や仕草。
現場で感じた空気感や、人の気配。
そういうものが載っているデザインには、ただ整っているだけではない強さがあります。
デザインにおける「生っぽさ」とは、その会社らしさや、人の気配を消しすぎないことなのかもしれません。
AIより上手くつくれるかどうかではなく、人が関わった意味をどこに残せるか。
これからのデザインでは、そこがより大事になっていくと思います。
人がつくる意味
「生」という言葉に惹かれるのは、単に新鮮だからではなく、そこに手触りや温度感を感じるからかもしれません。
AIによって表現はもっと速く、正確になっていく。
だからこそ人がつくるものには、少しの悩みや、考えた痕跡、まだ熱が残っている感じが必要になる。
アルテガでも今年から、これまでよりもクライアントへ直接会いに行くことを大事にしています。
オンラインで話せることも多いし、資料だけで共有できることも増えました。
それでも、実際に会って話すことでしか拾えない空気感や、現場に行くことでしか感じられない温度感や違和感があると思います。
何気ない会話や表情、場所の匂い、働いている人の雰囲気。
そういったものは効率的ではなく、無駄に感じるかもしれない。
でも、その遠回りでしか見つからないものが大切な材料になる気がします。
人がつくる価値は完璧さだけではない。見て、感じて、考えて選んだプロセスに宿る。
そんな「生っぽさ」こそが、これからのデザインに必要なのかもしれません。
ほなね。