自己紹介

ご覧いただきありがとうございます。初めましてWebデザイナーの平尾誠です。

ブログ:アルテガの紹介

このブログはWebデザイナーの僕が”その手がある”をテーマに、Webデザインを通じて体感したこと、知った知識をまとめています。
主な記事内容は

・WebデザインとWeb制作のテクニカルな記事
・海外エンジニアリングについて
・セブでの海外移住記録

となっております。

環境

サーバーはロリポップのスタンダードプラン。
WordpressのyStandardをカスタムして使っています。

SEOやアナリティクスの勉強のために始めたアルテガですが、一番は自分が楽しくアフェリエイトに励めればいいなと思っています。どうか購読していただければ幸いです。

Webデザイナーになるまで

大阪府堺市出身 1985年生まれ。父親が56歳の時に生まれ、海軍元帥の山本五十六の生まれ変わりだと父は信じて疑わない。座右の銘は『知るかボケ

ある時、知人の親不孝なHip hopアーティストから、アルバム音源のジャケットとロゴを作るように頼まれたのがきっかけで、デザインの道へ没頭。
その後、フライヤーのデザインに足をつっこみ、インテリアデザインからWEBデザインへ方向転換。職業訓練校にてWEBデザインを本格的に勉強開始。

大阪で美容室の販促物を専門に扱う会社でホームページ制作を約2年経験後、東京に上京。
東京で2社のWeb制作会社を経験。採用や人事、事務所移転のプロデュースなどWeb制作以外の業務も体験。

Web制作によくある深夜対応と休日出勤がたたり、過労でクリスマスの朝7時に気を失う。
その頃から、作り手のこだわりはどこまでが妥当かを考えるようになり、Webデザイナーやエンジニアのキャリアや福利厚生に興味をもつ。

日本でのエンジニアリングの閉鎖感と、英語を覚えなければいけないという焦燥感にかられ、31歳の時にフィリピンに英語留学を経験
その後フィリピンのセブにて事業展開中のLIG.incにてフロントエンドエンジニアとしてジョイン。

フィリピンに移住を決め同時期に結婚

半年後、海外移住エンジニアとして働くも、会社のコンセプト・目標が腑に落ちず、また自身のスキルと会わずに帰国

現在はセブでエンジニアとしてホームページを作っており、プライベートでは海外デザインアワードであるCSS DESIGN AWARDの審査員もやってます。得意な実装はレスポンシブノリツッコミです。

Webデザイナー・平尾誠の自己紹介

将来の夢はクリエイターの村長になることです。
故郷の大阪では美容室などの小規模案件をディレクション・デザイン・マークアップの一連の流れを担当しており、東京の制作会社では様々な業種の中規模案件をフロントエンドとして担当させていただきました。
冒頭にもありましたが、現在はフィリピンのセブでフロントエンドエンジニア(Web制作会社でコーディングする人)として働いております。

ポートフォリオ ”CODE IS DESIGN”
http://mako.red/

フロントエンドと言われようが、私はウェブデザイナーです。

東京でのWeb制作の現場ではデザインとマークアップを分けて考えることが多く、作業の分業化が活発です。しかし、本来ならその二つは決して切り離してはいけないもので、情報設計と運用を無視したデザインや、デザインと使いやすさを無視したソースコードはあってはなりません。
二つが一つで初めてウェブデザインと考えています。
私のこれまでのキャリアのほとんどはマークアップに費やされました。しかし、スキルセットを常にデザインとマークアップの中間においているため自身をウェブデザイナーだと思っています。
私はデザインとマークアップの双方の技術を、日々高めていくことにとても意欲的です。
ソースコードこそがデザインだと考え、フロントエンド側からデザインを常に改良していこうと考えています。

違う価値観を持った人と共に働きたい。

人事・採用担当を経験させていただいたことがきっかけで、Web制作会社での働き方を改善したいという思いが強くなりました。どうしても私たちは制作が楽しいあまりに、時間と健康を損ないながら、中には家族を犠牲にしながらモノヅクリをしている気がしてなりません。このブログではWebデザイナーを取り巻く環境や、これからも無理をせずに続けられる働き方を考えていきます。

人生のゴールはクリエイターの村長

家族や恋人から応援されるようなデザイナー・エンジニアの働き方を模索したいと思います。
何をするかも大切ですが、それよりも誰とするかが何よりも大切であると考えるようになりました。
アトリエのような小さなシェアオフィスを作り、様々な職種の方々と一緒に仕事をしたいと思っています。そして小さな村のようなコミュニティを形成して「村長」と呼ばれたい。私の人生のゴールはクリエイターの村長です。

2017年に結婚し、これからは自分が喜ぶ仕事よりも、自分の周りが喜ぶ仕事をしたいと思ってます。
というのも、自分のためだけに働くのに飽きてしまったから。モチベーションが保てません。
だから、これからWeb制作を志す方や、海外でのエンジニアリングに興味がある方に向けて、体験したことを綴っておこうと思いました。
今までの諸先輩がたがそうだったように、これからも先に経験した人が、後の人に引導を渡し、知識を共有していくものだと思います。

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– ライフプラン
33歳までに海外デザインアワードを取れるだけ取る。
34歳までに英語コンプレックスを打ち破る。
35歳までに地方都市にシェアオフィスを作る。
37歳までにIT企業とフリーランサーのためのアトリエのような保養所を作る。
40歳までに健康保険組合と組んで地方都市に広げ始める。
50歳までに村長になる。

– この先したいこと
after effect
VJ
インタラクションデザイン
Motion graphic

Web制作会社と健康保険組合で福利厚生を目的とした施設を作る
美容関連のサービスを作る
美容師の雇用形態を変える
特殊なデータを集めるサービスを作る
コワーキングスペース運営
海外と協業の製作
日本に移民を奨励する

– 受賞歴
2016
DAAアジアデザインアワード – DESIGN OF THE DAY
CSS DESIGN AWARD – SPECIAL KUDOS
CSS WINNER – STARS
AWWWARDS – NOMINEE
CSSREEL – WINNER OF THE DAY
BESTCSS – SITE OF THE DAY
CSSLight – FEATURE OF THE DAY

2017
CSS Design Award 2017 審査員

海外に出たきっかけ

このサイトのタイトルにもありますが海外移住でエンジニアをしている理由の大半は、デジタルノマドに挑戦するためです。

リモートワークや海外エンジニアリングをしてみて感じた理想と現実をこのブログではお伝えしています。
同じように海外でエンジニアをしている方がいらっしゃれば連絡ください。だって実際は寂しいもん海外って。

では、今回は移住に至るきっかけを綴ります。

よく使われる意味としては、特定のオフィスを持たずにパソコン一つで、住む場所や働く場所を転々としている、旅人のようなフリーランスをノマドワーカーと言います。

日本より欧米の方の方がフリーランスの数は多いので、デジタルノマドは欧米のなんでもできちゃう系エンジニアの方が多いように思います。
住む場所に縛られないので、発展途上のフィリピン・チェンマイ(タイ)・イスラエルなんかがデジタルノマドが多いと聞きます。
ライフコストが安いし、同じ目的で世界中からエンジニアが集まっているために、スタートアップするには本当にもってこいです。

当然、旅することだけを目的に世界中を飛び回っているノマドワーカーもいます。
どちらも私にとっては魅力的ですが、旅だけを目的に飛び回る方が僕にとっては羨ましいかな。なんて思っています。

デジタルノマドの先駆者”Webさえ”

特にWeb制作やアプリ開発周りの人のことをデジタルノマドなんて言ったりもしています。日本にいた時に僕はこの働き方に憧れを抱いていました。Webの仕事ってパソコンさえあれば働く場所を選ばない。そういう意味ではまだ珍しい職業だと思います。

Web界隈で有名なブログにWebさえがあります。

Webさえあればどこでも生きれるよねってノリで海外でフリーランスとして働いていた方のブログです。
Webデザイナーを始めた頃から購読しています。今は法人化してフリーランスではないみたいです。
ちょっと最近更新頻度が少ないですけど、毎回濃い内容が書かれていて勉強になります。
もし知らないWebデザイナーの方は興味があったら読んでみてください。

職業と同時に、働き方を選べる時代

ノマドワーカーは特定のオフィスを持たないので、主にリモートワークで案件をこなしていきます。
打ち合わせもスカイプとかchatworkのビデオチャットで済ませます。
この辺がすげー今風だし最先端の働き方に見えて、私にはとってもキラキラしたものに見えました。デジタルノマドなんて今の時代だからこそできる選択であることに間違いはないと思います。

少し前なら、国際電話とかめちゃくちゃ高かったもん。LINEとかskypeの登場によって、一層海外に出て行くことのハードルが低くなって来たのはいうまでもないですね。

海外でエンジニアリングすることがいつしか僕の夢になった

なんとなくかっこいい響きがするデジタルノマド。
Web制作者であれば海外で仕事するのも悪くないよねーっていう憧れがはっきりとに変わったのにはきっかけがありました。

ニューヨークでめっちゃ凹む たくさん話しかけてくれた人に英語で返せない

私が英語を勉強を始めたのは、これがきっかけでした。

ニューヨーカーたちは本当にオープンマインドです。
いろんな人が、そのコートかっこいいね。とかその靴いいねとか、君日本人だろ。ジブリ知ってる?とかって話しかけて来ます。
だけど全然話せませんでした。

悔しさをバネに英語を頑張ろうと思いました。

英語+エンジニアリング

この構図がずっと頭にはなれなくて、日本にいる時もいつか海外に出ることを目標にずっと勉強をしながらお金を貯めて来ました。
働きながら英語を勉強することはとても大変だし、制作会社の安い給料で貯金することも本当に大変でした。

だけど、夢があるからこそなんでも耐えれた。
夢がなければ、もうWebデザイナーをしていなかったと思います。

31歳になって英語フィリピン留学

ずっと海外に住むつもりはありませんでしたが、日本と海外を行ったり来たりする、デュアルライフを実現するため、英語の語学留学をすることにしました。住む場所に縛られて、したいことができない、会いたい人に会えない、そんな日本での職場に縛られたワークスタイルが嫌でした。
選んだのはフィリピン。フィリピンは英語留学がオーストラリアやカナダに比べてとても安いのでコスパがいいです。

過去の記事:社会人に伝えたい、30代からのフィリピン留学
http://arutega.jp/30over-philippines/

まとめ:何事にも準備が必要

俺でもできるやろってマインドでなんでもあまり考えずに、行動に起こす。
今の自分を連れて来たのは、そんな自分自身であることに間違いはないはずです。

そんな無鉄砲な僕にも奥さんがいます。

ありがたいことに奥さん(日本人)も一緒にセブに付いて来てくれて、働き方や、自分たちの時間の使い方を日本にいた時と比べたり、この先を共に考えたりしています。

結果、それがよかったか悪かったかは、今すぐにはわからないことだと思います。
ですが、行動を起こさないとずっと後悔しますよね。

これから海外エンジニアリングや海外就職を考えているかたの背中を押すことをこのブログのテーマとしています。海外エンジニアリングって聞こえはかっこよさげだけど、正直とても楽ではないです。

これから移住を考えている方が失敗しないためにも、海外移住への準備をつづっていきます。
次回からは理想と現実。海外エンジニアリングに必要なことを書きますね。

ほなね