海外エンジニアは憧れるほどでもなかった

海外エンジニアは憧れるほどでもなかった
2017年9月19日

これは日本で先が見えないと感じたWebエンジニア兼デザイナーが、日本を離れフィリピンのセブに奥さんと移住したお話です。

僕は2017年2月に日本のWeb制作会社からエンジニアとしてセブに常駐していました。
そして、半年が経った頃日本に帰ってきました。一度日本を離れたことで感じたことがたくさんありました。

実は言うと、僕の海外移住はうまくはいきませんでした

この記事が、日本人が活躍できるように、これから海外勤務になる方たちの役に立てれば嬉しいです。

このブログの名前は”デジタルノマド挑戦記 アルテガ/フィリピン・セブからWebデザイナー・エンジニアの背中を押す”です。
それでは元気よく!!よろしくお願いします。



海外エンジニアとしての移住するまで

海外へ移住するまでの経緯はこちらでとても詳しく書いています。

まぁ早い話が、長年の憧れで海外に飛び込んだというとこですね。主な理由は

・英語を覚えたい
・オフショア開発の可能性を探りたい
・希少価値の高いエンジニアとなり、自分自身がコンテンツとなりたい

この3点でした。自分自身がコンテンツとなるということは、希少な情報と経験を持ち、Web業界でのキーパーソンになるということ。あと英語覚えて外注先に東南アジアを使えるエンジニアになろうとしてた。

平凡で特殊なスキルを持たない僕は、海外に出て経験を積むのが希少価値のあるエンジニアになる一番の近道だと思いました。

だから英語圏であればどこでもよかった。

自分の身の丈に合わないことをする時って必ず、ビビってしまって最初の一歩が前に出ないですよね。ほとんどの人がそうだと思うんです。

そうしているうちに年齢を重ねて、帰らぬ夢の残像を細い目で見る。行動に移さないのであれば、それは最初から考えていないのと同じです。
ぼくはそんな生き方をしたくないんよ。マジで。

今考えると、一度決めたからには、行かないわけにはいかなかった。これが僕が日本を離れてセブでエンジニアリングをした大きな理由だったのかもしれません

海外移住で僕が失敗したこと

移住したけど2年住めばいい方だと考えていて、それ以上住むつもりはありませんでした。

日本での住居や役所の手続きを済ませ、全てを片付けてフィリピンに入りました。
海外で働くこと自体が夢だったので、いざ海外移住が現実となると、たくさんの現実と直面することになります。

その国ではならない理由が希薄だった

その国ではならない理由を無理にでも準備しておいた方がいい。
予期せぬ出来事が起きた時に、日本に帰るor帰らないのジャッジができるからです。

それに海外での行動指針となるものが無いとブレます。

例えば、フィリピンに進出している日本人の多くは、

  • フィリピンに日本と同じようにクオリティの高い産業を作りたい
  • 貧富の差を埋める教育と職業支援をしたい
  • とにかくまだない産業を作って儲けたい

そんな目論見があります。僕の場合はここが非常に弱かったと思います。

何にでも言えることですが、もう一度深掘りして”じゃあどうやってそれをするの?”って自分に問いかけなければいけません。

海外に飛び出したいぼくが、海外勤務のチャンスを掴めたことはとても貴重でした。
ただし、僕の場合はセブでなければいけない理由が全くありませんでした。前述した僕が海外に出た理由の3点は、フィリピン以外でもできます。

具体的な理由や動機を強く持っていなければ、現地で駐在員として長期滞在は辛いでしょう。

そんな僕にとってフィリピンがよかった最大の理由は、安く生活できる英語圏の国だから。

だけど、、、

相手が日系の企業であれば、日本で働いてるのと同じ

安く生活できる英語圏の国であることは間違いないのですが、業務の80%がコードを書くことで、17%は日本人スタッフとのやりとりでした。これが最大の失敗でした。

これは聞いていた内容とは違いました。
なおかつ日本にいる時よりハードワークで拘束時間も長く、日本人スタッフと意見が合わない。

英語を話すチャンスはほとんどなく、ランチの時にフィリピンエンジニアたちを誘わなければ話す機会がなかった。それだけでは英語を覚えるはずがありません。英語を覚えなくてもやっていける環境が失敗でした。

これから移住して長く過ごす人は、現地で彼女とか彼氏を作るのが、言語を習得するには近道です。
ただし私は既婚者であり、加えてフィリピン女性に興味もない。

朝礼の時に英語でボケたり、わざと話すきっかけを作ったりしましたが、それさえ疲れてしまいました。

フィリピンでの犯罪やテロ

犯罪が多いセブ。マニラほどでないにしてもやはり油断はできません。5月に起こったISによるミンダナオ、ボホール、マニラの襲撃も僕たち夫婦を脅かせました。日本では全く関心がなかったテロも周辺の島が被害に遭いとても身近に。

僕は奥さんがいるので、セキュリティを気にして移住当初からガードマンがいるホテルに住んでいました。
だけど、あろうことかふたりが外出時にガードマンに財布から現金を盗まれました。

スリに合うことは想定していましたが、まさかホテルのガードマンが部屋に侵入して現金を盗むとはww

この一件が決めの一手となります。奥さんはかなりフィリピン人不信となり、一人で外出する頻度が減りました。

また想定はしていましたが、奥さんの仕事が見つからなかったことも想像以上に辛かったです。
仕事場とホテルを往復しない奥さんからしてみれば、僕だけが話をする唯一の相手でした。

その状況に見かねた僕は、余裕のない生活のなか、奥さんを語学学校に通学してもらうことを促します。
彼女は一ヶ月間の語学学校を喜んでくれ、僕は安心していました。

毎日楽しそうな彼女。
そんな矢先のガードマンの空き巣。

結局語学学校が終わると、外が危ないから部屋で一日中スマホゲーム。
これでは遠い日本から何をしに来ているのかわかりません。
ただコンドミニアムの真っ白な壁に囲まれて、一日中スマホのアプリをしてる奥さんを想うと、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

海外移住で掴んだこと

日本にいれば経験できないことをたくさんした


ホテルに盗難が入られたことも含めて、絶対日本ではできない経験をしました。
僕は死ぬまでに、できるだけたくさんの経験をしたいと思って生きています。
食べたことないものたくさん食べて、一生忘れることができない絶景もたくさん見ました。

海外勤務は憧れるほどでもない

海外にエンジニアとして行くのはさほど難しくない。もう僕にとっては、キラキラ夢を描くほどでもなく、ただの引っ越しくらいの感覚でしかありません。
そう思えるのはやはり一度経験したからですよね。今はもう、大阪と東京とセブの、精神的な距離感がまったくない。
きっとヨーロッパも地図で見るより近くて楽勝なんやろな。この感覚を掴めたことは今後の人生にとって、メリットになると感じています。

ボーダーレスにノマドワークしていきたい

フリーランサーであれば、もはや海外とか国内とか分けて考えることすらやめたほうがいい。
海外でなければいけないとか、日本国内でなければいけないとか、今思えば地球全体を使えるだけ使って仕事したほうがおもろい。どんどんボーダーレスな感覚で仕事をしていこうと思う。

もはや、海外で働くことは大変だけど特別ではない

移住となれば別でしょうが、現地の人と働いたりすることを目的にするならわざわざ移住しなくてもできる。

電話もLINEがあれば海外から通話できるし、写真だって送れる
ビデオチャットのアプリだってたくさんあるし、Googleの翻訳機能の精度はかなり高い。
定期的に仕事があるのであれば、ノマドワーカーとして、世界中をノートパソコンを持って旅をしながら仕事すればいいでしょう。

東南アジアを選ぶのであれば、音楽とかデザインとかの文化的インスピレーションをもらえるものが何もないからすぐ飽きると思う。
でもセブをはじめ、物価が安いので引きこもってスタートアップをするならオススメかな。

大変だけど日本にいても大変だから、僕は海外でノマドで働く人たちを応援している。

まとめ:海外エンジニアを経験してみて

行く覚悟を決めるよりも、帰る覚悟を決める方が数倍難しかった。

日本を出発する前に決めておくこといいことは以下の2点です。

  • その場所でなければならない理由と成し遂げたいこと
  • 帰るときのルール

海外にいくことはとても簡単になったとと思いますし、どんどんこれからも若いエンジニアやデザイナーに挑戦してほしいです。

帰国してしばらくが経過しました。
今になって改めて思うのは、どこでやるかよりも、誰とやるかの方がよっぽど大切ってことです。
冒頭で”僕の海外移住はうまくはいきませんでした”と言ったのはあくまで”今のところ”です。これからこの経験がどう活きてくるかは誰にもわからないのです。海外はまた行きたいけど、フィリピンはもう行かなくていいね。
日本のコンビニのオニギリは最高にうまい。

さあこれから誰と何をしようかのー。

ほなね